Wednesday, November 12, 2008

National Treasure: Book of Secrets

この映画の内容について、ここがこうだったとかを書く気になれない…。陳腐でくだらない映画と、そうではないエンタテイメントの境目はシビアなものだと思われる。特にこの映画のような冒険モノっていうカテゴリーには駄作が多い。そのほとんどが次のようなパターンを持っている。まず帰着しない枝葉を次々に広げる身勝手な脚本が挙げられる。そして、その脚本の支離滅裂さを、主人公に超人的な身体能力を持たせたり、脇役にありえない技術を駆使して次々に暗号を解いたり、難攻不落な場所のセキュリティを突破させたりして帰着させようとする。もちろん主人公はひたむきな善者で、それに対して凶悪な悪役を存在させる。悪役との関わり方に人間性などは一切無視。その凶悪さを支える資金や組織面も無視し、ド派手なアクションを唐突に挟み込むことで悪の存在を強調しようとする場合が多い。さらに「ここがみどころ」というつもりで入れ込まれたと思われるそうしたアクションシーンは、建物の大規模な爆発,ヘリコプターの墜落、危険が次々に起こるが最後には振り切れるカーチェイスなど、すでに形骸化したエンタテイメント表現を照れもなく持ち込む。さらに「助かったー。うまく行って良かったー」ということだけしか残らないエンディングだろう。この「ナショナル・トレジャー/リンカーン暗殺者の日記」って作品は、正直言って上に掲げた「くだらない映画」の要素だらけである。ここに記録として残していないが、第一作の「ナショナル・トレジャー」も見た。だが第一作からは全然そういうことを思わなかった。しかし、続編となると、前作以下という評価や興行収益的な失敗が怖いからなのか「あれも加えて、これも入れるべき」ということを処理できず、結果的に「支離滅裂作品」に成り下がってしまった典型的な作品のような気がする。ヒットすれば巨額の利益が見込める映画というビジネスモデル。それもハリウッドという場所においての損益分岐点がどのぐらいの金額なのかわかないが、上に挙げたようなパターンを踏襲している企画や脚本に、投資しないかと呼びかけるプロデューサの頭の中が、僕にはよくわからない。しかし、これを作ったディズニーっていう視点から言えば、ニューヨーク、パリ、ロンドン、ワシントンなど、世界中のロケ敢行という企画も、これだけの俳優を揃えたことも、「とにかく盛りだくさんで楽しめるファミリー向けエンタテイメント」ということで、彼ら的には満点なのかもしれない。そう考えれば納得が行く部分が見えてくる。ハリソン・フォードのレイダースのような歴史モノに現代劇の冒険要素を組み合わせたら面白くなるんじゃないかという企画に、ミッション・インポッシブルとかボーン・アイデンテティのような映画の持つ要素をそのまま移植しちゃうセンスが、ディスニーの世界ってことになるのだろう。ブラッカイマーが絡んでいるからこそと思える出来のところも多いが、なんかそういうものも消してしまうディズニーっぽさってモノの根底にあるファンタジー的信念ってなんなんだろう…。

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