Saturday, February 18, 2006

CAST AWAY

トム・ハンクスのひとり舞台と言ってもいい映画だった。それも壮絶な演技だ。生存4年目のウィルソンと暮らすキャプチャの場面は一瞬トムと思えず「猿の惑星」かと思った。チャールトン・ヘストンより弱々しいところがトムらしいが、ほのかなユーモアを残しながらの演技がトムの真骨頂。「ターミナル」でもそれは如何なく発揮されていた。この映画も例外ではない。笑えないけれど笑ってしまう情景と言うのは自分の日常にもある。しかしこの作品でのトムは、そこを彼自身で十分承知の上で演技を使い分けながら絶望と希望の間を彷徨う。そのさまは壮絶だ。顔も体型も、肌の様子や眼つきまで徹底的に変える演技は全盛期のデニーロを彷彿とさせる。聞いた話では25キロも体重を変えたらしい。とにかく音楽もなく、ひとり演技の状態が延々と続くというのにまったく飽きさせない。脚本も良いが、これは役者の力に負うところが大きいだろう。観客はずっと彼は救出されるのか…戻れるのか…と、いつのまにか島で生き抜く彼と一体化していく。映し出される波はサーファーにとっては最高の波。しかしドルフィンスルーでアウトに出れるわけでもなく、確かに筏で外海に出るのは至難の技だ。戻ってからの物語はどうもスッキリしない。しかし、そのスッキリしないところがゼメキスの狙いなのかもしれない。その意味ではハリウッド的ではなくフランス映画的な終わり方だなぁと感じたところでエンドクレジット。何故かわからないが、見ている最中、頭の中にボルネオに潜み続けた小野田中尉が何度も過ぎった。極限での精神力。誰かとの対話ということが支えとなること。この映画でのウィルソンのように実態を伴わなくても、それは人間が生きるために必要なもの。そしてそれを失う痛み。さらに失った後に来る絶望的な孤独感。それへの怖れ。そうした人間の本質を、一方では描ききってもいる映画であって、視点をハリウッド的なエンタティンメント作品ではなく、恋愛や友情という側面で見るのでもなく、純粋に人間の内側にある支えあってこそ生きていけるという側面や、生きるということは何のためなのかという視点からこの作品を見るべきなのであろう。心に残るものが数多く見出せた作品だった。

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