Cold Mountain
「シンデレラマン」を観てレニー・ゼルウィガーを追いかけてみる気になり、「ブリジット・ジョーンズの日記」シリーズ二作を観た上で、「シカゴ」を見ずに「コールド・マウンテン」に巡り来た。「シカゴ」を経ていないのは自分にはどうもミュージカルモノに触手が動かないというところがあるからだ。なにか訳を言えと問われれば「オール・ザット・ジャズ」のボブ・フォッシーで完結したという思いもあるし、ジーン・ケリーやアステアを経て、シナトラやディーン・マーティン、さらにはエルビスと往年の歌系に飽きてしまったという面もあるのかもしれない。この話はまたいつか「シカゴ」を観ることになったら書くこともあるだろう。一方、ジェード・ロウは何故か「A.I.」のエロ・ロボット役の彼が一番印象に強い。彼が最後に言い残す「アイアム、アイワズ」という言葉が強烈に残っているからかもしれない。さてこの映画、レニー・ゼルウィガーが登場するまでのニコール・キッドマンがどうも煮え切らない。しかしレニー演じるルビーとの生活に入った途端にニコールが輝きだす。これが意図的なのかどうかわからないが脇に助けられて主役たちが光るということは良くあることなのだろう。その分レニーは徹底している。そう考えると助演女優賞というのはそういう力を発揮した場合に選ばれるということなのだろうか。脇役で印象深かったのは「マグノリア」で心優しい介護士を演じたフィリップ・シーモア・ホフマンが、ここでは猥雑な牧師という難しい役を独特の味を見せながら演じている。山中で孤独に暮らす老女演じるアイリーン・アトキンスもシブい。彼女がヤギを愛でながら悲鳴ひとつ立てずに首を掻き切り血を抜く場面は彼女の役柄の持つ人間性が凝縮されているように思えて素晴らしいと思った。ナタリー・ポートマンが、どうにも寂しくて仕方ないサラの女心を演じる場面も見事な枝葉だ。ジェードも果たすべく役を演じている。物語の骨子はとても単純。枝葉に枝葉が続いていく。それが経過する時間が本当に長い。展開リズムもおそろしくゆっくり。合間合間のレニーとニコールの掛け合い漫才が唯一軸として残されているが結構しんどい。だが長い長い旅の後、ようやく果たした再会からこの映画の本当の物語が始まったように思った。サリーの家の井戸。怖いけれど鏡を持って覗いてみたい。
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