Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull
邦題は「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」。インディシリーズの19年ぶりの新作。っていうか19年も経ってたんだ!ハリソン・フォードっていま何歳なんだろう。この年齢で冒険モノの主人公というのは相当無理があるんだけど、物語はちゃんとそういう役どころになっている。映画の構成、脚本、演出、照明、撮影、衣装、美術、音楽、効果…、どれを取っても前の三部作を踏襲していて、ここまで手法の一貫性を見せ付けられると、「インディジョーンズ的」というひとつの分野が出来たような感じがするが、それも含めて第一級の活劇を見た満足感を得た。中でも驚いたのは活劇となったときインディ自体の存在感が過去の映画と変わらないことだ。それは衣装やメイクアップの力が大きいと想像する。さらにこの映画シリーズの画面のタッチが一貫して独特なものを持っているような気がした。それは少し明るめで彩度もあり質感が明瞭であること。また色彩設計も一貫している。舞台が別の場所に変わるときのノスタルジックなグラフィックなども一貫している。しかしなんと言っても最もすごいのはスピルバーグだろう。おそらくこの映画はプレプロダクションの時点でスピルバーグ世界を煮詰めに煮詰めた状態になったはずだ。それはつまり、そういう「インディジョーンズ的に一貫して持つべきもの」が完璧に整理されているということの他ならない。シリーズでモノを作る時、そうしたマネジメントがいかに重要かを教えてくれる。これは「継続性を保ちながら新たな興奮を起こす=ブランド」という視点で、自分が作るコミュニケーションを考える時にも忘れてはいけない。そしてたぶん、これは「チーム」の力だと思われる。ひとつのコンセプト(映画の場合はキャラクターやトーン)を理解しているチームが無ければ、こんなに見事な一貫性は紡げない。物語は、そうした「お約束」を十二分に盛り込みながら先へ先へと引っ張っていく。「謎を解く→冒険→辿り着く→謎を解く→奪い合い→辿り着く」を繰り返しながら、その合間合間に主人公を取り巻く人間ドラマを挟み込み、最後に「こういうことでした」と終わるという冒険活劇のセオリーもお約束どおり。同時期に同じような物語を持って製作された「ナショナル・トレジャー/リンカーン暗殺者の日記」も見て、かなりガッカリしたが、なぜにこれほど差が出るのだろうか。主人公たちのパーソナリティ表現の深さ。謎解きにどの程度ドラマを与えるかの知性。邪魔したり横取りしたりしようとする存在の設定の明瞭さ。いずれもルーカスとスピルバーグの勝ちだ。ネバダでの原爆実験(ちなみに本物の原爆実験の映像はここあたり。また1950年代当時のアメリカの様式などがよくわかるのはこれ。ダミーの家とかも映っていて映画もこれらの映像を参照したと思われる)に立ち会って冷蔵庫の中に入って吹き飛ばされて助かったり、見つけたスカルがエイリアンのまんまだったり、謎の存在に辿り着くのに「三度落ちる」という滝(イグアスの滝はほんとすごいわ)からの落下で誰も死なないし怪我しなかったり、リーゼント猿に導かれてターザンみたいに蔓で移動したりとか、「ありえなーい度合い」もナショナル・トレジャーと変わらないのに、なぜあっちはウザくて、こっちはOKなのか…。滝壺から奥に入るとエルドラドが存在するってのは、もうまったく同じ伝説じゃないか。そこで実際の黄金宮殿を出すのか、異次元人【謎】で話を押し切るのか、どっちも「ありえねー」ですよ。だけど、あっちよりこっちの方がスッキリ、はなぜ?。自分でもよくわからないけれど、そこに才能の違いが存在するのは確かだ。これは個人的にとても興味深い。もっと細かく分析してちゃんと考えようと思う。美術は、大学の教室のシーンに興味が湧いた。前はもっと重厚な印象があった。今回は照明も明るく色々なモノが見えてしまうので、逆にどこまで美術を入れれば大学の教室としてリアリティが保てるセットになるかっていうあたりが学べた(廊下にあるトロフィーの棚とかもそのひとつ)。衣装は活劇中のインディはワンパターン(とはいえ柔らかいのにカタチを崩さない帽子といい、適度な傷みがあるけれど上質さを失わない革ジャンといい、上質なモノを揃えているのは見ていてもよくわかる。)だから、それ以外のシーンの衣装に目が行った。興味深かったのはラストの結婚式で皆が着ている衣装の色調。インディ自身も白ではなく、また参列者もすべてに明るいけれど、少しくすんだ衣装を着せている。ハッピーエンドな演出と時代観の表現のミックスが興味深かった。効果で面白かったのは強力な磁力を持っているという表現。それが運ばれると、天井の照明が動いたり、床にある金属類がずるずる動いたり。磁力を視覚化するすごいアイデアだと思う。失われたアークの箱がちらっと見えたりするのもファンサービスかな。CGもVFXも随所に使われているが、最近のハリウッド映画の「これでもかVFX攻め」は、この映画ではラストの宮殿あたりからピラミッドが吹っ飛ぶところあたりまで「攻め」で使われないところも、クラシックさを醸し出す映像のトーンと相まって高感度高し。あと俳優だけどケイト・ブランシェットってすごいね。僕は事前にこの映画に出てるって全然知らなかったからか、ソ連の敵役の女が最初は全然ケイトだって思わなかった。あ、ケイトだって思ったのは随分あと。眼から火炎をぶぉーと出して燃え尽きちゃうのは悲しい最後だけれど、「もう見たくない!」って叫ぶシーンは、なんだかケイトらしい感じがして存在感があった。エリザベスとボブディランを演じ分ける人だから当然かもしれないけれど、自分らしさの前に役があって、それを演じ切るプロだということがよくわかった。きっと誠実な人なんだと思う。
1 Comments:
ちなみに、この時代、僕たち日本人にとって絶対忘れちゃいけないのが広島だ。ここに原爆投下後の広島の情景の映像がある。生き残った人たちが映っている。色が再現されているのでものすごいリアリティがある。日本人はこんな痛みを乗り越えて今があるのだ。
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