Tuesday, March 14, 2006

THE HOURS

邦題は「めぐりあう時間たち」。なんでだろう。前にこれ見たんだよ。でも、いつどこでどういう感じで見たのか全然思い出せない。でも見たんだ。序盤にメリル・ストリープ演じるクラリッサがエイズの詩人を演じるエド・ハリスのアパートに行って「もう朝よ」と元気良くばっとカーテンを開ける瞬間に、あれ、これ見たことあるよと思う。でもその後の展開は全然記憶にない。本当にまったく記憶にないから物語を追い続けながらデジャブだったのかなと思っていた。そうしたら後半に、散歩と偽って家出したヴァージニアを夫が追いかけ、駅のベンチに座っている姿を見つける場面で、あ、やっぱり見たんだと確信する。でも何も思い出せない。まぁそれはいいか。とにかく見直した。

映画は、愛するもののために自分の人生を注いでいくものたちが、それぞれの心の中に積もりに積もった空虚感をもてあます様を描いていて痛々しい。こんな状態を続けることには耐えられない。そうした葛藤が心の底で蠢くが、ではどうすればいいのかと言っても行動は見出せず、絶望が深まっていく。自分自身に正直に向き合う時間。しかし止まらずに進む時間の流れはとめられない。起こっている状態に正面から対峙しようにも日常に押し流されていく。暗闇の中で溺れかけている自分に気づきながらも、目の前にある愛情らしきものを最も大切なものだと思い込もうとする。しかしそこに救いを見出せない自分。感じるはずの喜びが沸き起こってこない空虚。こんなはずではなかったと考えるのはたやすいが何も変らない。その堂々巡りを続けていても出口は見つからず、時間は止まらず過ぎていく。葛藤と焦燥。しかし空虚は誰にも理解されない。絶望。もうそれしか道はないというものを見出したとき、それはあまりにも周りからは身勝手とされる行動。死ぬのか。もしくは身勝手な重荷を背負っても生きるのか。なぜか今はとてもよくわかる。ニコール・キッドマンがこの演技でアカデミーを獲ったらしいが、どの俳優もあまりに素晴らしくてちょっと言葉が見つからない。エド・ハリス演じるリチャードが窓から身を投げる場面は本当に美しい。描かれる繊細さが痛いほど刺さる。この作品でのジュリアン・ムーアはとても素晴らしい。「フォガットン」で中途半端だったのはやはり脚本のせいだろう。メリル・ストリープは大御所の貫禄を見せつけるような存在感だ。他にも脇役が素晴らしくて全編に亘って目が離せなかった。しかしながらこの映画のメイクアップはすごいとしか言いようがない。想像を遥かに越えた技術があるのだろう。ノーマルなのはメリルだけで全員特殊メイクで恐ろしいほどの変身を見せる。特にエドのエイズの顔とジュリアンのお婆さんはどちらも違和感がなくてびっくりする。エドはこの映画のために本当に痩せたのだろうか。あの痩身での演技は鬼気迫るものがある。美術も衣装も本当に素晴らしいし、一本の映画で三つの時代を描いているのにどの時代も手抜きがない。同時に撮影と照明がとてもうまい。それぞれの土地柄の陽射しの感じをうまく取り入れながら自然光に近い光を作り出している。特にリッチモンドでのある程度高い生活水準を持ったライフスタイルは非常に参考になる。小ぶりの屋敷。裏口から庭につながる景色やガーデニングの様式。玄関からロビーに置かれているもの。机の上にある書籍や階段のグリーン。壁にかかる絵画。ヴァージニアの仕事部屋。著述に使われている道具。ダンヒルのライター。寝室のリネン類の質感。カーテンの柄や光の透け具合。使われているもののすべてがまるで百科事典のようだ。英国式の田舎生活というテーマでこれほどまでに美しく描かれたのは見たことがない。ニューヨークの場面でも登場人物たちの生活水準は低くない。さらに彼らは小説家や編集者といった職業につきインテリジェンスを持った人々。そういう美意識を持った人間たちが持つ審美眼で選ばれる華美でもなくストイックでもない生活観がとても興味深い。ブランド志向というよりも上質で洗練されたものを好む嗜好がよくわかる。

リチャードの投身自殺によって結局キャンセルとなるが自宅でのパーティのセッティングやエンターティニングのセンスを追いかけるだけでもとても勉強になる。ロスの場面では東京オリンピックの頃の日本が目指した豊かさとはこういう世界だったのであろうと思わせるベトナム以前の穏やかで豊かなアメリカが描かれていて、これも生活様式の見本帳のようだ。しかしそれが日本には極端にダウンサイジングされて持ち込まれた。そこに日本の近代デザインの悲劇がある。そういえばジュリアンがベッドに横たわったまま水没する場面は驚いた。ヴァージニアに重ね合わせた死を考える。だから水は透明な水ではなく水草の混ざった川の水。物語を最後まで見るとこうした繋がりが見えてくる。そして絶望の果てにいる母が感傷的にならず息子やまわりには平静を装う。それに対して心から怯える幼心が立ち上がってくる。それが寂しさを抱え続けたリチャードの哀しみに重なり、そうした孤独な彼を見送るしかすべがないクラリッサ。ぞっとするほど深い深い脚本だ。三人の女がそれぞれ姉や友人たちにキスをする。そうしたシーンも何年か経ってからもう一度見直してみるとまた違った理解が得られるのかもしれない。味わい深い映画だった。

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