Friday, March 24, 2006

LEGALLY BLONDE 2

邦題は「キューティー・ブロンド2」。原題にはさらに「赤、白、そしてブロンド」という副題がついているが、邦題の副題は「ハッピーMAX」となっていて何がなんだか意味が全然わからないのは僕がコヤジのせいだろうか…と思っていたが、見終わってみると、ふむふむ確かにマキシマムなハッピーって感じだわと不思議に納得。こういう邦題づくりの感覚がちょっとづつ分かってきたぞ。前作を見た上で続編を見るという僕にとっては周到な準備を行ったつもりだったが、やはりこの手の作品は僕の範疇にはないようにも思う。でも、ただのバカ系でもない。映画そのもので楽しめたかと言われるとかなり怪しい。かといって途中でもういいやとなったかと言うとそうでもなく、結局最後まで見てるわけだ。見てるというか引っ張りこまれて離されなかったという感じだろうか。途中の展開はありえねーの連続なのだが、そのありえなさが痛いというほどでもない。どういえばいいか良くわからないけれど、エルの飛躍の仕方があまりにも強引でマンガ的なのだが、ひとつひとつの場面の作りこみや、張った伏線に対しては全部帰結させるところなど、映画の基本と思えるものは全部守られていて、その点では良く出来た映画と言うことになる。また、以前にも増してすごいなぁと感嘆したのはソフィ・カーボネルの衣装だ。今回もエルは場面が変るたびに常に衣装を変えて登場する。思い出すだけでも30着ぐらいはあっただろうか。もちろん最もフィーチャーされているのはポスターにもなってるシルクジャガードのピンクのスーツスタイルだが、それも帽子とバッグを工夫したりパンナム時代のスチュワーデス風のアレンジが効いていて面白い。あの白い手袋はもう技としか言えないだろう。帽子からつま先まで一分の隙もない衣装と言うのは普通は変なのだが、この映画ではそれが楽しみになってくるわけだからソフィの力がいかに凄いかがわかる。同時に、そうした完璧なコーディネーションが次々に現れ、数え切れないほどとなってくると、ピンク一辺倒のように思わせながらも主人公エルのセンスがとても洗練されているという印象を徐々に与えていく。とにかく衣装を取り巻くすべての世界観はエル・ウッズのファッショニスタとしての面目躍如満開と言う感じだ。ワシントンでピンクのスーツに決めるまでの、鏡の前のエルの衣装選びの場面も、本当に細かいところまで楽しめる。その中でリースはエルを演じきって行くわけだ。この世界観づくりに関しては相当練られたものと思われる。そういえばこの作品ではリースは製作総指揮を務めている。製作総指揮というのがどれだけストレスフルな仕事かは想像に容易いが金を集めて陣頭指揮しながら演じて責任を取るわけだからリースは相当タフな女性ということになる。アカデミーを射止めるにはそうしたタフさも必要と言うことだろう。美術は今回「オースティン・パワーズ」のマーク・ウォースィントンが務めたようだが、冒頭の手作りアルバムがものすごく良く出来ていて驚いた。ああいうページをめくるたびに「うわぁ」と言わせようというような思いを持って作られた仕事は僕は大好きだし、僕自身もそういう思いを持って自分自身のエディトリアルデザインのスタイルを確立させていった。さらに単にコラージュしているだけではなく、さも誰にでも作れそうな手法をあえて使っている。水玉や豹柄パターンの紙を切り抜いて張り合わせたり、靴の形に色紙を切って貼り付けたり、写真に写っているリボンを再現したようにくるくる巻いて立体的にしたり、表紙を綿入りのもっこりした感じに仕上げたり。でも絶対にあんなのは素人には作れないし、ものすごく手間のかかる作業を経た上に、画面映りまでキチンと計算して作られていることが良くわかる。マチスが絵の具を扱えないほどに衰えて切り絵を始めたとき、すべての色を自分で作り、紙に塗り乾かしたあとにハサミで切って作品化していったのを思い出す。このアルバムもどこにでもある紙の寄せ集めではないことは反射の具合で見出せる。光るスパンコールなどもあったが全体にはマットな質感で、明るく軽い内容に思えるものを上質なものに変えている。写真もあえてちょっと眠くて硬い色調のポラロイド風だ。このあたりの手法は随分学べる。いずれにしろアルバムをめくりながら前作のおさらいをタイトルバック中にさらりと終わらせるというのはとても優れたアイデアだと思う。そう言えば前作の丸っこい文字で始まったタイポグラフィだが今回は長体のゴシックとスネル・ラウンドハウスとなっていた。受ける印象が随分と上品になったわけだが、そこにも学生から社会人へと成長したエルの映画という意味を持たせようというプレゼンテーションがあったように僕は読み解くが考えすぎだろうか。また今回もエルの部屋の美術はものすごいことになっていて興味深かった。クビになっちゃう弁護士事務所のオフィスの壁にはウォーホール風のブルーザーのポートレートがかかってるし、彼女の席の後ろにはリボンアレンジのアートなどなど。どれも画面の中ではフォーカス具合でエルを際立たせる効果も果たしているわけで中々に深いものがある。撮影のこともメモしておこう。いわゆるバックライトが効果的に使われている。おそらく狙った効果はエル・ウッズの持つハッピーなエナジーを際立たせることにあるのだろうが、意図的にブロンドに逆光を当て、さらにかなり生々しいピンクの光をアタマに当ててオーラのような効果を上げている。こうした生々しいいわゆるゼラチンカラーそのままの色をうまく組み合わせて世界観を作るのはアメリカのスティル系フォトグラファーたちが得意とする技だが、ヘタなカメラマンだと、かなり安っぽくなりがちな手法であり僕は何度もソーホーのスタジオで口論したことがある。だから映画の中でここまであからさまに使われているのに少し驚いた。なぜなら写し込む大きさが違うからだ。彼女の周りにはその色調と調和するための背景やセットの美術を計算して配置することが必要になる。映画の世界ではこうしたことは常識なのかもしれないが照明さんと美術さんとの息が合うようにディレクションする重要性を改めて思い知らされる。この映画の中でのその調和の処理がこれまた興味深い。タイトルバックの最初に見られたようなボケ足の長いフォーカシングもあれば、ヴィンテージ質感の葡萄色の衣装で合わせたり、ヴェルサーチ違いの研究所の入り口での押し問答ではシャイニーな質感で調和させるなどの手法も見受けられる。印象的だったのはシドからサジェスチョンを受ける場面。構図全体はオレンジ、ライムグリーン、テラコッタなどの色調を持ったアートの背景と調和させながらも、エルには左から太陽光のような白いバックライト、右からは室内光としてのオレンジピンクの光と、まったく違う色調を組み合わせて主人公を際立たせている。これは簡単そうで適正な露出にするのは難しい仕事。それにしても、あのブルーザー役を務めるチワワ犬には恐れ入る。もう完全に演じていると思わされるし、それも半端じゃない。エルによる「私は誰」のプレゼンテーションは爆笑だった。彼と言うか犬えばいいのかどうかわからないが、実際には犬が物語や脚本を理解して演じているわけではない。ということは、犬が見せる表情を知り尽くした上で、適所でそれを引き出せるドッグ・トレーナーがいるということだ。これはよほどのセンスを持たないと務まらない仕事だろう。その意味でスー・チパートンというドッグトレーナーの名前は覚えておくべきだろう。彼女は前作はもちろん「セヴン」や「ムーンライト・マイル」なども手掛けてる。確かにそれらの映画の中には犬が重要な役割を果たしていた記憶がある。そう考えるとすごい仕事だ。東京にもこうした人がいるのなら是非知り合いたいものだ。最後のスピーチでのエルらしいところから語りかける脚本は悪くはなかった。次はホワイトハウスかよというフリも許す。でも物語がどうとか俳優がどうとか、そういう部分よりも、とにかくスタイリングと撮影という視点では驚くほど勉強になった映画だった。

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