The Man Who Cried
原題に較べて随分脚色された感があるが、邦題は「耳に残るは君の歌声」。まぁ映画を見終わってみるとそういう題名の方が合っているようにも思う。監督と脚本はサリー・ポッター。あまり聞かない名前だ。ジョニー・ディップとクリスティ-ナ・リッチ、そしてケイト・ブランシェットも出ているのだから失敗はないだろうと踏んで見ることにした。クリスティーナは全然イメージがない。「バッファロー'66」で怪演したらしいが見ていないし「アダムス・ファミリー」の目玉の大きな娘役ぐらいだろうか。冒頭の約15分は物語の背景を描くが一切泣き声をはさまない。そこから感じる重々しさ。父との離別。祖母との離別。普通ならぎゃぁと叫んだり怒鳴り声が飛び交ってもおかしくないのに人々の声はみなひそひそと話すように聞こえる。そこにある抑圧。その抑圧は突出した我がさらに肥大化したものが生む。それに対して抵抗する力など赤ん坊のように持たないユダヤの民たちはギリギリまで我を削ってどうにか生きるすべを探る。ユダヤの民は常に寡黙のままだが、今では逆に抵抗できないだけの力を得た。物語はロシアからアメリカのはずが英国へ。フィゲーレからスーザンへ変えられて行く様に胸にこみ上げるものを感じるのは自分が娘を持っているからだろうか。歌を身につけて舞台はパリへ。ケイトと一緒に森の中に入ってクリスマスツリーを見定める場面はとても美しい。ケイトの発音は完全にブリティッシュなのだがなぜか聞いていてとても心地良いのはなぜだろう。自分の美しさを武器にドミニオを魅了しながら生き抜くすべをさぐるローラの役はともすればいやらしさが前面に出るところだろうが、ケイトが演じるからか優雅さを失わず作品の質を高めている。彼女がオペラの端役で舞台に登場する場面でしっかりと舞台を演じているのには驚かされる。映画の中で舞台を演じるというのはとても難しいと思うのだが。ジョニー・ディップの登場も無言。彼がまともにセリフを吐くのは映画も中盤だ。その後も言葉少なく存在感のある男を演じる。それから連れてきてる馬がものすごく賢いのだろうけれどジョニーの馬術はたいしたものだ。「レジェンズ・オブ・フォール」を見た時にブラピも相当うまいと思ったがジョニーもまったく違和感を感じない。パリをあんな風に馬に乗って駆けると素晴らしいだろうなと思わせる。イタリア移民のオペラ歌手を演じるジョン・タートゥーロもすごく熱の入った演技を見せる。あのなまり方は簡単には出来ない。音楽を軸にした物語だから当然かもしれないが、そうした発音の違いを強調するかのような演出だけでもこの映画が「音」にこだわっていることがよくわかる。同時に音楽にとても敬意を払っていると思う。そうでなければパリの下宿屋のおばさんの部屋で聞く場面も、歌うダンテを伴奏するドイツ将校の表情にも酔いしれるような表情は出てこないだろう。物語はものすごく時間軸を早回しにしながら父親と離ればなれになった娘の運命を描く。ラストに至る展開は強引さが重なる部分もあるが静かに物語を締めくくる。美術も衣装も撮影もどちらかと言えば低予算内で上手にやりましたという仕事だが決して悪くない。でも細かなところにあまり意識を馳せさせずに物語を追い続けることがこの映画はできた。その意味では力のある映画ということになるのだが、どこがどうだったから良かったと言いにくい作品だ。その言いにくさも力のある作品の特徴だろうか。ひとつ言うなら主役がクリスティ-ナ・リッチだったことが成功の要因のように思う。彼女は決してずば抜けた存在ではないし、この映画に出演したのは20歳だというのに子供っぽさが鼻につく。でもどれも力のある脇役たちに助けられたおかげで彼女にしか出来ないものを残せたのだろう。しかしながらよくもこれだけ味のある濃い人間を集めたものだ。父親を演じるオレグ・ヤンコフスキーは絵になるし演技も深い。同時にロシアの村の人々からジプシーの歌うおじさんたちまで、とにかくこの映画のキャスティング・ディレクターには心から敬意を表したい。また子供の頃のフィゲーレを演じたクラウディア・ランダー・デュークは注目したい。彼女が出ている「ファイナル・カーテン」を見てみたいと思った。
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