Koyaanisqatsi
副題に「Life Out of Balance」とあるとおり「コヤニスカッティ」とはホピ族のことばで「バランスを失った世界」という意味らしい。1983年の公開時にこの映画を見たとき、ものすごくショックを受けた記憶がある。徐々に迫り来るような緊迫感を感じたことをよく覚えている。フィリップ・グラスの音楽も毒々しくて追い詰められるような印象だった。さらに日本でMTVの放送が始まったばかりの当時は、流しっぱなしのいわゆる環境映像的なジャンルがまだ新鮮だった時代だった。ブライアン・イーノのコンセプトワークなども同時代の記憶にある。そうした時代だったが中でもこの作品は高速度撮影、微速度撮影、空中撮影、定点撮影、長時間撮影と、おそらく当時では最新の映像技術が駆使されていて、映像的に面白いということは、どういう感じなのか…という切り口で映像を受け止める最初のきっかけを僕に与えたような気がしている。同時に黙して語らず流れだけでモノ言わん…という編集もおどろきだった。序盤から地球の自然の姿をゆったりと描く。広大に広がる大地。流れ行く雲や力強い海面。そこに人類が入り込んで来る。ビルが建ちあがり無数の自動車の光跡。人々が行き交うニューヨーク。目まぐるしい速度で破綻しているのにそれに気づかない人類を描き出す。最後に短く「コヤニスカッティ」の意味を示す字幕が出るだけで映画には台詞はひとこともない。あるのは映像と音楽だけ。しかし物語というか脚本は存在していて、見続けていると作り手が込めたメッセージが伝わってくる。物質的満足を追求する我々人類の文明が確実に破綻に向かっているという意識を否応なしに持たされていく。こうした映像の力強さというのはこの作品を見るまではあまり意識したことがなかった。製作はフランシス・フォード・コッポラ。監督はゴッドフリー・レジオ。撮影と編集をロン・フリック。後にレジオは同様の作品を数作作り続けたが一作目のこの作品が一番印象に強い。
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