Tuesday, February 21, 2006

Spotswood

邦題は「スポッツウッド・クラブ」。アンソニー・ホプキンスよりも若き日のラッセル・クロウが興味をそそったので観てみた。出だしすぐにMGに乗って現れるラッセルは一瞬で役柄を演じきる。その時間たった8秒。これで十分にキムという男の人格が滲み出る。まったくすごい役者だ。1992年制作の映画だが「サウンド・オブ・ミュージック」を見に行かないかという台詞があるところを読むと時代設定は1965年頃だろうか。レベッカ・リグ演じる将来はモデルになるというシェリルが登場したときはアリ・マッグロウかと思うような衣装と髪形にびっくりした。舞台は古臭いイングランドの田舎町。ラッセル演じるキムの髪型もリーゼント崩れに尖ったもみ上げ。とにかく劇中でアンソニーが呆れるのも無理もないと思わせる田舎臭さ満載で、見終わってみると悪くない。ラッセルは光っていたが、やはりこの映画はやはりアンソニーの映画だった。ビジネスコンサルタントとして自動車部品工場の社員数縮小を提言するウォレスは近代化を信じているように見える。しかし彼がもう一方の究極の前時代的手工業型のモカシン工場を評価するなかで本当の経営とは何かを見出していく部分は見ごたえがある。アメリカ型効率第一主義経営と英国型一族手工業経営の両面を映画の中に持ち込んでいるわけだ。それらを対決させるわけではなくウォレスというビジネスコンサルタントの意識を通じて両者の利点と欠点を描いていく。現実には英国型の経営は国際化の側面では維持できず、ジャギァはフォードに、モーリスはローバーからBMWにと移ってきたが、品質にファッション価値を加えたブランドビジネスを遂行するイタリア型一族経営手法が見直されている現在、どんな事業体でも経営資産は人にあるということを如実に示しているこの映画の根底に流れている価値観は間違ってはいない。ウォレスは言う。「あなたは従業員を堕落させてしまった。資金が底を突いたらどうします」。社長が言う。「金の問題じゃない。要は信頼関係だ。従業員には敬意を持って接したい」。このやりとりは印象深い。同時に適材適所という意味ではキムを自動車部品工場に移すウォレスの行動にこの映画の底辺を流れる人間愛が滲み出て清々しい印象を残した。

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