Wednesday, September 07, 2005

A Few Good Men

この映画のこともほとんど知らずに見た。知っていたのはトムが出演して好評だったという噂程度。公開は1992年。おれはこの10年なにやってたのだろう。俗世間にうとすぎると言われても仕方ない。それほどデザインにはまり切っていたのだろうか。それまぁいい。ジャック・ニコルソンに期待して見たのだが「アポロ13」や「ミズティック・リバー」で力を見せてくれたケヴィン・ベーコンやら、「24」でブレイクしたキーファー・サザーランドといった曲者たちまで出ているとは知らなかった。トム・クルーズも恥ずかしくなるほど若々しいがしっかりと演じていて悪くない。それに較べてデミ・ムーアの大根ぶりには唖然とする。なんなんだよこの女。最低でしょう…と言わざるを得ない。とにかくこの作品でのデミは中途半端。そもそもギャロウェイ中尉っていう存在がどういう人間なのか本当に表面的なことしか演じていない。それがとても薄っぺらい。その点ではケビン・ポラック演じるサムの方が全然わかる。サムの出番と言うかポラックがサムの人となりを演じて見せられる場面があれほど少ないと言うのにだ。それに較べてデミはあれだけ演じる機会を与えられているというのに何も演じていない。あほかと思うほど演技もへただ。冒頭でぶつぶつ言いながら登場する場面もクソだし、トムが彼女のオフィスを最初に訪ねる場面でもトムはリンゴをむしゃむしゃ食べながら演じまくるのにデミはステロタイプな反応を演じるだけ。彼女を思い出すとなんかむかつくほど駄目ぶりが目立つのはまわりが良いからなのだろう。ジャック・ニコルソンはまるでこういう役柄にぴったりすぎて怖いほどだ。力の差が歴然としていると思わせる重い演技。また脚本がなんともハリウッド的なレトリック満載で唸ってしまう。法廷劇というのは昔からよく作られてきたが、この作品では法廷で善悪すべてが決まるという物語にしていない。背景に徹底的な規律という罠があり、そこでの価値観の世界と日常の中での常識との駆け引きがある。法廷での決着の、まだその先があり、そこを考えろと観客にテーマをゆだねる手法には一筋縄ではない技を感じる。最後の最後に無罪ではない部分を作り、観客の期待を裏切りつつも、枝葉を全部帰結して映画に意味を持たせる脚本は見事だ。このオチのつけかたは二時間引っ張ってきたからこそ滲み出るものだと思うが、ラストの敬礼で語る作り手のテーマ表現は簡単に出来るものではない。練りに練ってからもう一度練る。そういう考え尽くされた脚本だと思う。脚本を手掛けたのは「冷たい月を抱く女」のアーロン・ソーキン。こういう才能がごろごろしてるハリウッドというところは本当に底知れぬ力を秘めている。それから冒頭のタイトルバックに見る整列しての団体行動は驚いた。まるで手品のようだし、シャッキンというのは良く見るがこんなに色々な技を見たのは初めて。文字通り息が合っているという状態を見事に捉えているわけだが、これまでもがラストの法廷での質問に繋がった帰結。よく考えてある。しかしこの題名。あっけないほどシンプルな題名だけに、込められたものを考えさせられる。

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