Sunday, January 29, 2006

21 GRAMS

なぜかブラッド・ピットが年老いるとトロのような役者になる気がしているベニチオ・デル・トロ、生まれつきのワルというイメージから善人を演じても様になる歳になったショーン・ペン、そして若き日のイザベル・アジャーニを彷彿とさせるナオミ・ワッツ、さらにジャーロット・ギンズバーグと、曲者が揃っての映画だから半端はないだろうと期待して観た。余談だが、ショーンもナオミも幸福の絶頂から突き落とされるというような極端な感情変化を演じるのが得意だ。彼らが爺さん婆さんになった頃、ジャック・ニコルソンやバネッサ・レッグレーブのような静けさを保った力強さが期待できる気がしてこれからの彼らが楽しみではある。さらに余計なお世話な話だがシュワルツネッガーやスタローンはこういう映画をどう観ているのだろう。彼らはマーロン・ブランドやショーン・コネリーのようになれると思っているのだろうか。映画に話を戻す。見る前に予想した通り、陰と陽の両面が煩雑に行き来する。その細かなカットインが繰り返される中に時系列が見えてきて、物語の全貌が浮かび上がる。その編集は素晴らしい。その効果を発揮するため、意図的にそれぞれ出来事ごとにシーンの色調や画面タッチを変えているのだが最初は少しくどい感じが否めない。しかしそれも物語の展開が読めた後にはあるべき効果と納得がいく。物語の内容は深く、描くべき意味があると思わせる。病気も事故も事象としては極端だが、被害者にも加害者にもなりうる。どれもが自分の身にに起こりえる出来事。そこに思いを馳せさせた上で、複雑に編みこまれた要素を映画の前半に素早く整理し尽くしていくところは見事というしかない。さらに編みこむ軸が主な登場人物三人に共通する「救われたと思った事がすべて一瞬だった」という悲哀である。幸せ絶頂な状態で突然に家族全員を事故で亡くすクリスティーナ。心臓病で死ぬ手前に移植によって生き返ったと思った途端に別の死が間近だと知らされるポール。神に従って生きる道を見出した直後に人を死なせてしまう罪を背負うジャック。そうした極端なところで悲哀を絡み合わせる脚本は恐ろしいほど考え尽くされている。ラストは印象的だ。人が死ぬと21グラムなくなるという。ドイツの学者が宣説した説では6グラムらしい。それを魂の重さだとする考え方に僕は微塵も否定するところがない。

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