Sunday, November 06, 2005

COLLATERAL

とにかくこの映画でもお金の配分が悪いと思ってしまった。どうしてこんなに偏った予算配分になってしまうのか理解がむずかしい。トム演じるスゴ腕の殺し屋を雇っている側のリアリティ表現が徹底的に欠けていて何度も途中に醒めてしまう。なんであんな場末のクラブでこれ見よがしに派手に飲んでるかなぁ。場末という表現はしっかりされているのにワルの中にもあるクラス感が欠けていて腑に落ちない。僕の知る限り、いまどきのヤクザはもっとスタイリッシュだし、あんな遊び方をしてるのは末端の末端のいわゆるチンピラさんたち。ワル側の描写は、この作品として重要ではないと決めたにしろ、元々の殺意は物語の底辺を流れる根幹にあたる部分。ある程度の俳優も置かず、そこを描こうともせず、ステロタイプに「裏の世界で悪いことしてお金を得ている人たち」と安易な設定で済まされてしまってはどうも物語に入り込めない。それはノートのメモにも書いていて「悪者側の描き方がいい加減。すごくわかりやすい悪人の演出。ファッションもキャスティングも演技もダッサダサ。全部っぽいでしょという観客側に媚びたモノ作りの姿勢にウンザリする。同時に、刑事も、マフィアも、検事も、もっとリサーチして欲しい」という具合に枝葉の描き方に対する不満足が書かれている。一旦それは置いておいて、良いところを探すと、もうジェイミー・フォックスしかいない。彼が断然光ってしまっているのはトム的にはどうなのだろう。映画のタイトルである「コラテラル」は「巻き込まれる」という意味なわけで、映画の主人公はジェイミー演じるマックスが主演として観れば悪くない映画ってことになる。そう見れば逆にトム演じるヴィンセントも悪くない演技を披露している。だが、どこか冷徹な殺し屋に見えない甘さの残し方はどうなんだろう。ミッション・インポッシブルでもその部分が気になった。キャプチャした場面はいきなりズドンとジャズクラブのオーナーを殺す場面。それにジェイミーがうゎっちっちと冴えた演技を見せるわりにトムは普通にしてるだけに思えてしまう。白髪にしてキャラ変えようとしたのかもしれないけれど、トムはこういう役はもうやめた方がいいと思うのは僕だけだろうか。正直「ラスト・サムライ」でのトムの演技は本当に素晴らしかったと思うし、酷評されている「宇宙戦争」のトムも僕は好きだ。結局この映画、見終ってみると何も残らないことに気づく。そう。テーマも何も、噛み締めるモノが見終わった後に何も出てこないのだ。何を描こうとしたのか読み取れない僕が間違っているのかもしれないが、どうも後味が悪い。

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