Saturday, March 04, 2006

SECRET WINDOW

作品の善し悪しが決まる要因に俳優の力が大きいということを改めて思う今日この頃。個々の作品での演技がいくら酷評されようが、ハリウッドで存在感を示す俳優たちはやはり半端ではない。もちろんアンソニー・ホプキンスやジーン・ハックマン、ダスティン・ホフマンのような大御所は安心だが、一方でアンディ・ガルシアやアル・パチーノのように中途半端な脚本で脇役に回ると駄作に付き合わされる場合もあるので注意が必要だ。現在のところ一度も失望せず、まったく安心できる俳優といえばラッセル・クロウやトム・ハンクス、さらにブラッド・ピットということになる。僕の中では彼らから少し下がるがショーン・ペン、マット・デイモン、そしてジョニー・ディップがその中に入る。つまり失敗したくないという思いでこの「シークレット・ウィンドウ」を見ることにした…ということだ。映画が始まってすぐ妻の浮気現場に踏み込むことに躊躇するジョニー・ディップはいつものジョニー。彼の大袈裟ではない存在感が僕は好きだ。水際からコテージハウスに近寄り、そのまま2階の小さな窓から部屋に入り、デスク上をなめたあと鏡に向かって降りていく途切れのないカメラワーク。この宙を漂う移動ってどうやってるのか全然わからないけれど、その流れるような映像の中に細かく状況説明が組み込まれていて、僕にはそこが興味深い。知的であり誠実であり孤独であり繊細さを持った小説家という設定をジョニーは序盤で演じきる。ちょっとダサいけどめちゃくちゃ可愛い愛犬チコ。そのチコの存在が彼の孤独な焦燥感をいっそう滲ませた途端にチコは惨いことになってしまい、物語は一気にサスペンスの匂いが強く漂い始める。原作は読んでいないが物語の展開は面白い。これだけの伏線を張るのだからオチを期待していいはずだ。そう思いながら用心棒のケンが普通ならこうするよなと思う通りに物事を進めてくれる。確かめるべきことをひとつずつ押さえ、次に取るべきあるべき行動をケンは指し示す。途端にケンも殺される。ひょっとしてこの展開は「Fight Club」っぽいのか…と思い始めたら結局そういうことだった。ただこの作品では人の力を借りずに自分で錯乱していることに気づいていく。誰にも天使と悪魔は共存している。その両者をジョニー・ディップが演じていく。どちらが本当の姿なのか。これはきっと原作の方が面白いに違いないと思われる。この手の作品ではやっぱり「Fight Club」の方が映画的なのではないだろうか。「Fight Club」では原作とはまったく違う結末を描いた。この作品はどうも原作に忠実っぽいところで分が悪いのだろう。だけどジョニー・ディップはさすがに安定してる。見ていていわゆる演技臭さがないところが才能なのだろう。美しき完璧な仕事。だからこそ余計なことに意識を運ばせず物語に引き込まれていく。それから舞台の「タシュモア湖」という場所が素晴らしい。場所はよくわからないが本当に美しい。同時にこうしたキャビン型の家が日本の避暑地にあるようないかめしいものではなく、どこかシンプルでいい感じだ。破れているけど味のある普段着も悪くない。あの居心地の良さそうな2階の仕事場には惹かれるものがある。いわゆる田舎暮らしのバンガローではなく、センスと知性を持った人間が気取りなく山小屋に住むとこうなるという美術の数々がとても勉強になる。