Sunday, December 18, 2005

Contacts

ウィリアム・クラインが作った「コンタクツ」を見た。内容は11人の写真家が語る自分の創作アプローチ。まぁ講演会で聞くプレゼンテーションのようなものだ。だが僕はただ杉本博司のことが知りたかった。それだけである。なのでソフィー・カルの冒頭とデュアン・マイケルズの騙し絵シリーズの解説だけ見たが、それ以外の写真家は見ていない。いまさらサラ・ムーンの話を聞いても仕方ない。杉本博司が自ら語る作品へのアプローチを聞いていて彼の劇場を撮影した一連の作品には時間だけでなく上映された映画までが写し込まれていることを知った。このシリーズは見てはいたがコンセプトは知らなかった。なるほど。そのヴィジョンとコンセプトを具現化するために、彼は実際の劇場で二時間もの露光を行っている。映画が始まるとシャッターを開き、映画が終わるとシャッターを閉じる。フィルムに写るものは露光オーバーとなった真っ白なスクリーン。しかしその真っ白には時間とともに物語が写しこまれているわけだ。行為としてはシンプルそのものだが、写真に明快に意味を持たせている。こうした視点は慌しい日常の中では出てこない。水平線のシリーズは以前に知っていた通りのコンセプトであった。「ハピネス」展ではこの水平線作品の前で何分立ちすくんでいたか思い出せないほどの時間を過した。文明の起こる遥か前からこの景色は変らずそこにあったということに思いを馳せているうちに時間の経つのを忘れてしまっていた。蝋人形シリーズはアプロプリエイションだと言われる所以だろうか。慎重に照明を作って生きているかのような理想の姿を写した写真に彼が焼き付けているのは肖像ではなくやはり時間なのだろう。千手観音のシリーズは実物をまだ見ていない。原美術館に展示されているはずなので機会があれば見に行きたい。だがその前にまず京都に行くべきなのだ。ついそうした当然のことを過激に働いていると忘れてしまう。こうした欠落が昨年までの自分の一番の問題なのだ。この欠落の連続が僕には起こっていたのだ。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home