Unbreakable
まじぇ。これ実話なんだ。というのは見終わったところでの感想。ぶっ壊れないという題名のこの作品、邦題はそのまんま「アンブレイカブル」。主人公が特殊な能力を持っているということをちょびちょびちょびちょび示していく。その流れの作り方は「サイン」と同じだ。と思ったら実際そうだった。同じ監督。ナイト・シャマラン。だけどシャマランと言えば「シックスセンス」という印象が強い。けれどあれも彼の世界といえば言えるだろう。舞台はフィラデルフィア。そういえばフィラデルフィア生まれのシャラマン監督は映画人には珍しくハリウッドに住まずにフィラデルフィアに今も暮らしているらしい。そういうロコとしての土地勘というのか映画の中での舞台設定になる多くの場面はどれも無駄がなく美しい。物語はありえねーという話を静かにちょびちょびいく。そこに色々なひだを織り込んでいく。ハリウッドだと導入のところでどっかーんの場面をコンピュータで作ってどーよとかやるところをホントに清々しいほどするりと通り抜ける。この抜け方はその後の物語のトーンに繋がるが、その静けさとは相反する突飛な脚本が差し込まれて、映画を見ている最中からどうも違和感を感じる。パパが不死身かどうかを確かめるといってパパにピストルを向けるという行動に出る息子。そもそも親の価値観が反映されるのが子供であって、そうした行動がどこから来るかと言うような点を映画の中での物語では描いていない。映画のあちこちにコミックス的な誇張があるのがどうも気になる。ブルース・ウィルスも頑張ってるけど、脚本がどうもいただけない。そういえば冒頭に隣の席に座った若い女に結婚指輪を外して色目を使うという伏線はどこに帰着したんだろうか。まさかあれが妻とうまく行っていないという説明ってことはないだろうと僕は思いたい。どちらかと言うとブルースはにやにやしてるような役が似合ってると思うのだがどうだろうか。「サイン」でのメル・ギブソンもアクションから来たし、ブルースもアクションあがり。でもメルの方が今では静けさが似合う。イライジャを演じるサミュエルは熱演と言ってもいいだろう。完全におかしいやつを淡々と演じていて微笑ましい。後半にコミック屋の店員を困らせる場面など、もう子供がダダをこねているしかないわけだが、それをさも哲学的に演じるあたりは認めたい。息子を演じるスペンサー・トリート・クラークは最近良く見る顔だ。確か「ミスティック・リバー」にも出ていた気がする。子役の天才と言えば「A.I.」のハーレイ・ジョエル・オスメントがダントツなんだろうが、この映画のスペンサーは記憶に残る演技を見せる。最後に涙を流す演技は素晴らしいのだけれど、なんでそこで涙まで流す必要があるのかはよくわからない。涙しか芸がないのか涙が最高の演技という演出なのかわからない。美術はすばらしいと思う。圧巻はサミュエルの部屋にあるヴィンテージ・コミックスのコレクションの数々だと思うが僕にはその価値はよくわからない。こういうのは96ちゃんに聞くしかないが、おそらく相当すごいのだと思われる。サミュエルの車も壮絶だ。安全ならボルボだろうと思うが役柄らしくヴィンテージのキャディラック。そのラバーキューブが並ぶ防音室のようなインテリアがすごい。というよりも誇張があたりまえのコミックの世界だ。衣装もよく考えられている。サミュエルの方は紫とブルーを基調にサテンの質感を与えて黒い肌を美しく見せる配慮がわかりやすい。彼の着るブルーの裏地がチラリと見えるコートは中々スタイリッシュだしガラスのステッキも素敵だ。一方、ダン一家の自宅やそれぞれの衣装も目立たないがとても考えられている。いただけないのは後半にダンが殺す変質者がオレンジの作業服を着たままでいることだ。ぶっ壊れた列車が保管されている倉庫のシーンはかなりすごい。どうやって作ったのと思うほど。話はもとに戻るが、これが実話だったというオチ。それでどうにもこの映画の捉え方が混乱する。皆が知っている報道された実話をなぞるように描くのではつまらない…という思いが作り手にはあったのだろう。その点ではこの物語は脚本の組み立てに自由さを持てたと思う。さらに普通の人には理解できない意味不明の大量殺人を実行してきたイライジャに焦点を当てずに、選ばれし側のダンの方から描いていくというアイデアは理解できる。しかし唐突とはいえダンの静けさは必要だったのだろうか。あまりにイライジャに言われるまであんなに暗い日々を送らせる必要があるのだろうか。そのあたりで結局どっちつかずの物語になってしまったのではないのか。今はまだちょっとコンフューズしたままだがメモとして残しておく。
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