True Crime
良いものを知るためには良くないものも見なきゃ駄目っていうことはわかっているのだけれど、相変わらず駄作は見たくない。そこでクリント・イーストウッドに助けを求めてしまった感じ。1999年公開。クリントが製作、監督、そして主演の「トルゥークライム」を見る。いきなり若いミシェルを口説くだらしない感じのクリント。明らかにこれは伏線だと自分に言い聞かす。一方、タイプライターのパチパチ音。それだけなのに、こんなに少ない描写でフランクが死刑執行直前であることを示す演出は冴えていると感じる。同時にクリント演じるエベレットがどういう存在か編集長の部屋での仕事仲間の会話で一気に説明。こういう手際はとても重要だし僕はもっと学ばなければならない。死刑囚と記者という設定はデヴィッド・ゲイルを描いたものなど珍しくない。自分の遺体を誰が引き取るのかと死刑囚が所長に確認される。こうした絶望的な状況を描く脚本は興味深い。死刑囚最後の日というのは良く描かれるが、こんな台詞は耳にしたことがなかった。しかしよぼよぼ爺の身体のくせによくまぁ何度も裸を見せるもんだ。この映画の後にオッサンも捨てたもんじゃないぜという「スペース・カウボーイ」を作ったのはこのヨボヨボ姿の反響のせいじゃないのかと勘ぐってしまう。だが確かに浮気性でだらしなくい男は確かにいつものクリントらしくないが演出は確かだ。仕事に情熱を持つ男にとって絵に描いたような家庭生活を望む妻が時には最大の障害に思えることもある。そこを描く必要はあとでわかる。中盤ですべての設定は終わりあとは伏線を解いて行くだけ。しかし簡単にはいかない。その簡単ではないところが映画の見せ所。この作品ではそこを徹底してもう駄目ジャンというところまで落とす。ここまでぎりぎりに引っ張るとは思っていなかった。どうなるの…のところで刑務所長を演じるベルナルド・ヒルが美味しいところを掻っさらったように思ったがラストにルーシー・リューのオマケつき。どこかテレビ放送向きの映画のように思える締めくくり。美術も、衣装も、映像も、特別に書き記すべきものは何もない。ラストもカメラは動かず照明も変らず景色も動かずエキストラが歩くだけと能がない。しかし映画としての押さえどころは全部きちんと押さえてある。言ってみればこれがクリント式の基本形ということなのだろう。
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