BABEL
「21グラム」のアレハンドロ・イニャリトゥが監督した「バベル」。まったく関係ない複数の物語と思えるものが織り合いながらひとつのテーマを描いていく。正直、僕はこの手法はあんまり好きじゃないんだが、「マグノリア」を見て、脚本が深くて考えを改めた。なぜ好きじゃないかというと、状況が掴めないままに伏線が続くのに我慢強くないのかもしれない。さてこの映画、極端に言うとライフルという武器(この場合は凶器と言うべきか)が主人公だ。それを軸に、ちょっと考えられないような広がりを持って物語が紡がれていく。だけど東京にいる安次郎とモロッコの羊飼いとが繋がる設定にはちょっと無理を感じた。いま東京で、を考えるとリアリティがない。このあたりは「21グラム」でも脚本を手掛けたギジェルモ・アリアガらしさだろうか。メキシコの結婚式に連れて行かれてる二人の子供が、この物語の何を意味するのかもずっと分からない。しかし、それが伏線かもしれないと思うから物語から目を離せないのだが、ずっとわからない。帰着しないで裏切られた映画のほうが多いからか、こういう一杯枝葉を広げまくられて、ずーっとわかんないままに、後半まで引っ張るっていうやり方が好きじゃないんだな。その結婚式のシーンもやけーに長い。だけどその長さの意味がわからない。ちゅーか白昼堂々、麻布十番の公園で酒入れながらレッド食って「このへん警察来る?」とか、ありうえないでしょーっていうようなのも嫌だ。耳が聞こえない千恵子の描写も長い。でも千恵子の存在感は素晴らしい。、やっぱりこの映画、なんだかんだ言って、ものすごく力がある。なぜ素っ裸っていう演出なのかも考えさせられる。刑事が最後に読む千恵子のメモの内容も想像が走る。ちゃんと心に残すものを作っている。ブラッド・ピットといい、ケイト・ブランシェットといい、そういうところを脚本から読み取ったから出演したのだろう。それと映画のテーマとは関係ないけれど、衝撃的だったのは、東京の景色とモロッコの景色の対比だ。ハッキリ言って東京の風景は自分たちにはあたりまえの景色だが、モロッコのそれとの違いをこうも明瞭にされると、東京という街のグロテスクさに、吐き気に近いものを覚えた。異常も続けばあたりまえ。人殺しがあたりまえになる戦争みたいなものだろうか。かなりやばいところで暮らしているんだよ、僕たちは。
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