Friday, March 03, 2006

THE FORGOTTEN

マグノリア」で老衰死する大富豪パートリッジの美しき妻リンダを優美に演じたジュリアン・ムーアが主役。また、映画が始まってすぐ、海から街へと上空からの映像に重なるタイトルシークエンスにゲイリー・シニーズの名前を見て、おぉ期待という感じ。ジュリアンの女優としてのキャリアは長いのだが、どうしても「すんげー美人」というステロタイプなイメージから抜け出してもらえないと感じてきた。彼女は美しいと思う。そう思うのは彼女が実は自分と歳が同じだかなのかもしれない。実際こんな透明感を保っている47歳の中年女性って世の中にそうはいない。さて映画だ。導入の段階でゲイリーが語る症状というのは「ビューティフル・マインド」でラッセルが演じた自ら幻を描いてしまう病気なのだろうか…とか、それにしても酷な設定だな…とか、ジュリアンが繊細さを持つから余計に酷さを増幅するんだろうなぁ…とか思った途端に「国家安全保障局だ。身柄はこちらで預かる」とかいう展開。そ、そういう映画だったのか…と、まず一回目のガッカリが来る。どうしてアメリカ人はこうも陰謀とかCIAというネタが好きなのだろう。そのくせ一生懸命に愛を訴える。アメリカは本当に弱い国だ。小心者の集りで常に心底怯えている。そのくせとてつもなく欲深い。だから彼らは軍備やCIAやNSAなどに巨額を注ぐ。名目は国を守るため。根本的に何も解決しないのにそうすることで不安がなくなったと思い込もうとする。だけどいつまでたっても怯えている。それでどんな陰謀も許される。そしてそれを使ってせっせと金もうけに勤しむ。何が正義かと問われると神に誓ってと言う大義名分。欲望丸出しの自分たちの姿を鏡に映して見てみても、もう正義と悪魔が入り混じって何が本当にあるべき姿だったか思い出せないのであろう。駄目だ、どうにもこういう連想が止まらない。映画に集中したいのだが、人の記憶を消すぐらいの陰謀を実行できるはずなのに、いきなりどがーんとBMWに体当たりする保障局のエージェントってのもマヌケな感じ。確かにあの程度の衝撃ならシートベルトをしていればBMWは乗員の安全はほほ確保されるというのは自分が525iに乗っていたときの事故で体験済み。しかしなんでエアバッグが開かないんだ…とか、どうもそういう細かいことに意識が行ってしまう。物語が急激に展開するトーン変化に向けての演出としては正しいアプローチとしておこう。走り回ったあとに結局アパートに戻っても捜査員に捕まらないという展開も許そう。ブルックリン・ブリッジ近辺のちょっと寒々しい雰囲気も懐かしい。ジュリアンがいい歳なのにあんなに走れるっていうのも忘れよう。ロングアイランドの家が素敵だと思うことにする。さらに、ちょっと殴られたらだけでそんな簡単にNSAの捜査員が口を割るていうのも気にしない。しかし、なによ人間の仕業じゃないってなにそれ…どういうこと…と思ってたら、ずがーんと吸い上げられるがごとくに空に吹き飛ばされる。女刑事も同じようにずがーん。はぁ。どんどん話が変な方向に向かっていくぞ…と思って見続けていると、実験だという。つまり親子の絆の深さを確かめる謎の意思に向かっていく母親の強さを描こうとしたわけかいな。なんと回りくどい描き方なんだ。もちろん自分も娘を持つ身であるから、そこでは深く心に残るものはある。だが映画としては想定外の設定が多すぎるために煮え切らない。思うに一流の俳優はこういう脚本の映画には出演しないんだと思う。その意味でジュリアンもゲイリーもやっぱり主役級ではないということなのだろうか。

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