Thursday, March 09, 2006

LEGALLY BLONDE

この手のタイプの映画は基本的には興味ナシなのだが「ブリジット・ジョーンズの日記」などと同じで、作品のデキがどうだとか言う以前に見ておかなければならない。言うまでもなくそれは、僕のような全然女心がわかっていないオッサンが、若い女性を対象とした広告を考えたりするにあたって、やっぱりこういう作品も見て、純粋なファッション性と現実に喜ばれるミキシングの両面を整理しておかなければならない。同時に、主役のリース・ウィザースプーンがいきなり今年のアカデミー主演女優賞を獲ったりするものだから、これまで追いかけていたナオミ・ワッツ、ケイト・ブランシェット、レニー・ゼルウィガー、そしてニコール・キッドマンたちに加えて、リースも見ておかなければならない俳優のひとりに加えざるを得なくなってしまった。映画が始まった途端にうわぁ…。どピンクの読みにくく丸っこいスクリプト書体。なんと小文字の「i」のドットがハートマークになってたりするやんけ。勘弁してよという感じ。だけど、このオープニングのシークエンスだけで、いったい何人の若い女性を使ってるのか数え切れない感じ。元からオタクじゃないので数える気はないけれど、相当本気の作りだなと思わせるほどに、言い方は悪いが馬鹿系の王道を行く徹底さが見て取れる。うわ、ばきゅーん。プロポーズを受けるはずがイキナリふられちゃったよ。だけど、その後にエルのメジャーがファッション・マーケティングで、水玉の歴史についての論文を書いているという設定にはにんまり。もうやけくそで、そうこなくっちゃと思う。これはもう余計なことは考えずにどっぷりこの世界に浸るのが正解のようだ。女性たちはそんなことも考えもせず、最初からどっぼーんなのだろう。衣装のこだわりは本当にすごい。エルウッドが画面に登場するたびに常に違う衣装。それも全部キマってる。つま先の靴からドレス、メイク、ヘアスタイルに小物。さらにエルが使う小道具の細やかさ。あの水色の地にホワイトのスマイルマークが入ったローブや、ふわふわしたピンクの電話機。さらに奥にあるドット模様のライトスタンド…。衣装のソフィー・カーボネルが持つ類まれな才能を見ることが出来る。ホントにすごい。物語は、おそらく女性たちがこうなって欲しいと願うままに物事が展開していく。ピンチも笑顔で向かっていけば必ず切り抜けられるし、捨てる神あれば拾う神ありの諺のごとく都合よく話が進んでいくことには見る側は無抵抗でなければならない。しかしそれでは普通は三流映画になってしまう。ではどこが違えば三流にならないのか。そこを考えると大事なことをこの映画はしっかり守っていることに気づく。無意味な枝葉はすべて省く。広げた伏線はすべて帰結させる。状況設定と登場人物紹介は素早く。展開で主役と脇役の関係変化を与える。先へ先へと引っ張る展開。飽きさせない美術と衣装。シーンごとの絵の質を整える。音や撮影などでの効果を繰り返さない…などなど、きちんと押さえられている。脚本は愛すべきヒロイン像というものを徹底研究した上で書かれたはずだ。僕がそう思ったのはブリジット・ジョーンズの一作目と同じく、色や仕上げは違うがこの映画でも主人公がバニーガールのスタイルで登場したときだ。最初はおいおいと思った。どっちが先なんだとも思った。だが良く考えると突き詰めていくとこのスタイルに帰着するのは当然なのだ。あの脚本で他にどういうスタイルがあるだろうか。和装というのを思いついた。さらにピンクの芸者というのも思いついた。だけどそれこそ西海岸と東海岸の対比と、いまどきのトレンドの極大化というところに絞って余計な枝葉を作らないようにしているこの作品でキモノはない。結局、見終わってみるとリース・ウィザースプーンのひとり舞台。良く言えば他を圧倒する存在感と輝きを持って彼女は演じまくる。演技力は一流だと思える。表情豊かな彼女はケイトやレニーに近い感じがする。ちょっととんがりすぎるアゴの線まで彼女は自分の役作りに利用している。それはプロの仕事だろう。そういえば原題を直訳すると「法的な金髪」。だけど邦題は「キューティ・ブロンド」。まぁ原題で「可愛い金髪」っていうマヌケな題名はありえないわけだけど日本的な感覚では「きゃわいぃ」が妥当か。法的の…と言われているのに、いきなりファッショニスタの世界観から始まるところは作り手の狙いということだろうか。いずれにしろブロンドと入る題名はなんともアメリカっぽい感じがする。ディス・イズ・アメーリカって感じだ。

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