Moonlight Mile
ジェイク・ギレンホールと言えば「デイ・アフター・トゥモロー」が記憶に新しいのだが確か高校生の役だったように思う。この映画はそれに出演する二年前だから相当若いわけだが、元々イチローのように無精ひげでも伸ばさないと彼はいつも子供に見える。映画が始まった途端、昨今のタイトルバックには珍しく、この映画ではフランクリン・ゴシック書体が美しくも気持ちよく使われていて、改めて新鮮に思う。読みやすく収まりも綺麗。短い寸劇のあと、観客を一気に掴んで物語に引っ張り込む葬儀へ向かう車列を描くオープニングは見ものだ。舞台はマサチューセッツのケープ・アンという田舎街。一昔前の典型的なアメリカの田舎町。教会、結婚式、駆ける子供たち、追いすがる自転車の子供、洗車場、ダイナー、交差点…。実際には絶対に存在するスラムや裏道を描かず、どこにでもありそうな清潔で平和な田舎の街の様子を一気に説明して見せる。衣装や小道具もそこに焦点を当てている感じがする。いまどきあんな郵便局なんてどこにもない気もする。こういう舞台設定の場合は描かれるディティールひとつひとつはあまり参考にはならない。それよりも全体の印象をどう作ろうとしているかの視点で観察したほうが学習できる。だが花嫁写真の写真館などアメリカの田舎の人々のダサい美意識の数々はとても面白い。もちろんそういうひとつひとつは映画の中では伏線になっているのは言うまでもない。こういうひっかけに思えるようなモノ見せが意味なく行われる映画も多いが、この作品はそうした点ではキチンとした仕事を見せる。余談だが僕にはキリスト教の葬儀の様式がよくわからない。日本の葬儀も、真言宗なのか浄土真宗なのかとかは唱えられる読経でしか判断がつかないほどで、様式となるとさっぱり知らない。キリスト教の葬儀の場面は映画の中でよく目にするが、この映画の様式はあまり見たことがない。ユダヤ系だろうか。さて、ダスティン・ホフマン。個性的な役者だ。彼が演じるとどの映画も彼のタッチになる。彼以外にこういうタッチは出せない。こうした役者のオリジナリティがとても興味深い。ワイフのジョジョを演じるスーザン・サランドンも力を見せる。意外なところで「ピアノ・レッスン」のホリー・ハンターが切れ者の検事を演じるるが彼女の役どころは物語の現実面を抑える意味で重要。そこを素晴らしく演じている。何よりも素晴らしかったのは老犬ニクソン。ラストのニクソンの顔の演技は忘れられない。一方、聞き覚えのある音楽が効果的に使われている。でも全部懐メロ。この作品の題名はローリング・ストーンズの曲から来ているようだ。ジュークボックスで曲が流れる場面はとても印象的。さて、映画を終わって思うのは、作者が何を描こうとしたかだ。そこだけを考えるとジェイク・ギレンホールはブレーキになっていると思う。単に時代を描いたという以上に、起こった出来事の背景には銃の問題や司法制度、残された被害者側が抱える苦悩があり、さらに地上げや徴兵などアメリカが抱えるさまざまな問題が伏線として張り巡らされている。その上でこの物語の展開を考えたとき、果たしてジェイクが心を打つドラマを演じられたかと言うと疑問符が残る。同じ役をブラッド・ピットが演じたらどうなっていただろうと考えるのは酷かもしれないがジェイクは主人公が抱えるナイーブさを演じ切れなかったと僕は思う。後で知ったことだが、突然にかけがえのない存在を失う悲しみは監督・脚本のブラッド・シルバーリングが経た実話が背景にあるという。一方、誰もが肉親の死には必ず接しなければならない。そこを考えてしまうのはなぜだろう。
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