Sunday, October 12, 2008

The Pursuit of Happyness

原題を直訳すると「幸福の追求」、でも邦題は「幸せのちから」。pursuiteを「ちから」に置き換えたのは、とってもいい邦題だと思う。でも「幸福」ってHappynessとも書くんだね。おいらはHappinessと習ったぞ。それはさておき、ウィル・スミスって本当に役者としてどんどん成熟して行ってる感じがあって、見続けて行きたい人だなって思ってたけど、だんだん自分が演じる「ウィル・スミス」っていうパターンに陥って行ってる感じがしたのはなぜだろう。彼の出演作は結構見てきた。「インデペンデンス・デイ」とか「バッドボーイズ」とか「メン・イン・ブラック」とか初期のものも見たし、「エネミー・オブ・アメリカ」あたりでジーン・ハックマンとの存在感比べも見た。だけど「アイ・ロボット」のスプーナー刑事、「アイ・アム・レジェンド」のロバート・ネビル、んで、この作品のクリス・ガードナーって、なんかみんな同じようなものを表出させることで、「演じる」ってことを終わらせてないか?っていう気がしたのが理由かもしれない。残念ながら「ハンコック」を劇場では見逃したので、DVD出たら改めて確かめてみたいし、新作の「7ポンド」も見てみたいと思うんだけれど、ある役者が、あるパターンを繰り返し始めるのが、僕は好きじゃないのかもしれない。僕は、ラッセル・クロウやケイト・ブランシェットに心酔する。一方、何を演じても同じ、という方向で確たる位置を築いている役者もいる。僕はウィル・スミスにそうなって欲しくないと思っていたのかもしれない。もちろんウィルの演技は一流だし、人間的にも素晴らしいことは間違いないし、見ていて納得できることばかりだ。今回はマトリックスの続編系とか、コラテラルとかに出てたジェイダ・ピンケットとの間に生まれた実の息子のクリストファーを共演者にしての映画だから、余計に生のウィル・スミスが出たのかもしれないけれど、その生な感じと、演技の幅とが、どうも見えない感じだった。んで、映画だけれど、アメリカ映画にしては、最初から最後のエンディングの直前まで、ずーっと不幸。また不幸。どんどんつらい状態が重なって最後の最後に「ハッピー」なんだけれど、その幸福な状態が、日本人からすると、言ってみれば「普通」って感じで終わる。つまり、仕事があって、お給料がもらえて、帰る家があって、息子も学校に行かせられて…っていう普通だ。能力主義のアメリカでは、こういう絶望があるのか、って思わされるが、そこに東京に住んでいる僕には中々リアリティは湧かない。ホームレスが増えているとはいえ、日本という国の社会観には、いざとなれば頼ることが出来る(かもしれないってことだけど)友人や親戚がいたり、完全なる絶望に陥る前のところが、もう少し豊かな気がする。この映画であるような、半年間のインターンも、無給なんてことは日本では社会が認めない。もちろん、この映画の主人公のように将来性まで考えての大きなチャンスを掴むっていうのは、アメリカも日本も同じだけれど、社会保障の次元が違うところでの悲劇という感じがあって、正直、最後まで映画自体を楽しめなかった。もちろん、息子に向けた言葉など、脚本も良かったんだけどね。

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